遺骨ダイヤモンドとの出会い・創業者の想い

当初私個人の話になりますが、会社を辞め独立したのはいいのですが、ニューヨークの地でのアメリカ人とのコンサルティング業務は困難を極めました。
そんな中で出会ったのがこの遺骨をダイヤモンド!という発想でした。

すぐに私はシカゴに飛び、どのような考えで遺骨ダイヤモンドをという発想をしたのかを確かめに参りました。

ダイヤモンドは炭素のみで構成される唯一の鉱物であることはおぼろげながらに知識はありました。ただそれを亡くなった方の遺骨から炭素を取り出すというのは全くの驚愕でした。

このようなアメリカ人的発想は日本人には伝わらない、と当初から考えていました。

この事業を日本で立ち上げてくれとの依頼にも、なかなか首を縦に振れない自分がいました。
その時にある日本人がこの話を新聞で知り、亡くなられた奥様の亡骸を飛行機の一席を買い、シートベルトをしたままシカゴに飛んだ方がいました。

その方が日本での遺骨ダイヤモンドの第一号です。

シカゴのみんなに頼まれ私は出来上がったばかりのダイヤモンドを日本に持ち帰りました。
その方は岡山県の方でした。

経緯はさておき、偶然に知りえたそのダイヤモンドに行きついたのは、結婚後難病に冒された奥様は、3年間の闘病と闘い抜きましたが、最後は28歳の若さで旅立つ事になりました。

私は岡山の新幹線から直結したホテルで旦那様とお目にかかり、奥様のダイヤモンドをお渡しすることになります。

本当に時が止まったかのような時間でした。そのダイヤモンドを手にした彼はまじろぎもせず、そのダイヤモンドを見つめ続け、涙していたのです。

本当に感謝の想いと、悔しさと、入り混じった涙だったと思います。

「やっと帰ってきてくれた」という言葉を聞いたときは、この遺骨ダイヤモンドの本当の意味を知る事になります。

彼がこれから生きるために、このダイヤモンドがどれだけの意味を持つのか、はっきりと気づかされた瞬間でした。

代表からのご挨拶

故人を見送る形は、大きく様変わりを致しました。
以前にはなかった家族だけの葬儀や直葬という形も随分増えてまいりました。

家族葬儀を終えての「お別れの会・しのぶ会」というものも芸能関係者の中でも増えてまいりました。

その背景は何かというと、葬儀のしきたり自体が、形骸化されているものだと思われます。

人がどのように亡くなったかは、その人の人生の最期を表すものでそれを露にするのは憚れるという側面があるかと思います。

今まで1万人以上のご遺族と接してまいりました。ダイヤモンドを希望される方、お骨そのものを身に着けたいとおっしゃる方。それぞれのお気持ちがあると思います。

素直に感じるのは、死してもなお家族にその片鱗を持ち続けたいと思われる方の生きた姿です。その姿にこそその人の人生が現れているのです。

ダイヤモンドや遺骨ジュエリーを作っている立場として、その想いの大きさを感ぜずにはいられません。

ほんの数パーセントの方の想いではありますが、その方々の気持ちを大切に私どもも心に刻んでいきたいと思います。

代表取締役  小山利美